住職の徒然記

痛み

新聞に昨日の公立高校入試問題が載っていましたので挑戦してみましたら、思った以上に理解出来ました。昔必死で解いていたことが懐かしいです 

入試において心配する親御さん達の心情、お察し申し上げます。しかし幾ら心配してもその想いを本人に届けることは難しいですよね。確かに想いは届けるものでないのでしょうが、届いて欲しいと思ってしまいます。でも想いを言葉や行動で表現しようとしても相手がどのように思うかですし、どんなに強く案じても相手がその想いを受け入れなければ、その想いは空回りです。想いは結果や何かを求めるものではありません。互いに見返りを求めず、どんな時でもただ信じる事と捉えれば、想う心が目に見えない強い絆を結んでくれるのはずです。

想いを伝えるのも大変ですが、それ以上に伝えることが難解なのが心身の痛みではないでしょうか。痛みを分かち合うことは出来ません。痛みは厄介です。ときに痛みは記憶にさえ刻まれます。また自分でその痛みを知らなければ、相手の痛みなど到底理解などできません。痛みには個人差があります。例え同じ病気であっても痛みは人それぞれです。我慢できる人もいれば表現出来ないほど苦しむ人もいます。チクチクする、ズキズキする、ガンガンする。誰かに自らの痛みを伝えようとすると、自分の痛みですのでつい身勝手な自己表現になってしまいます。相手も言葉や行動からでしか推測できず、そこに互いの距離が生まれます。自分の真の苦しみを理解してもらうことなど困難なのかも。

痛みは多種多彩にございます。私は無気力さえも心の痛みと思っています。全てにやる気が出ない。周りの人は怠けてると思うでしょう。でも不思議と身体が動かないことだってあります。だからやる気が出ないということは、心の奥底の見えない痛みであると考えればいいのです。そして気力が上げるまで自分に優しくなってください。無理は禁物。心が痛むから心も病んでしまうんです。痛むも病むも全て自分の中からうごめき表れるものです。どんな痛みも難儀なものですね。

心身の痛みを正確に伝えることが出来れば、分かって貰えれば、理解してくれれば、どんなに幸せなことか。

以前、頭に激痛が走りクモ膜下出血を疑って病院に行ったことがあります。お医者さんに「こんな激痛初めてですからくも膜下出血の疑いがありませんか」と尋ねましたら、「くも膜下出血であれば、頭をバットで殴られたような痛みがあります」と言われました。でも実際バットで殴られた事がないものですから、どんな痛みかを推し量ることが出来ませんでした。私達は経験のない痛み、知らない痛みもたくさんあります。痛みが不安を生じるのであれば、痛みなど不要、無痛であればいいのにと思います。でも痛みは不調の信号です。そう考えると痛みもまた必要なものであると考えねば。痛みとも仲良く付き合っていきたいものです。

自分が痛みの中に入れば、心配かけまいと痛むことを隠します。苦痛の中に居られる方を見ると、何もしてあげられないことに心苦しく思います。しかし過度な心配は相手の不愉快を生むこともあります。人の心は難しいですね。でも何かをしてあげることが大切なのではなく、してあげたいと思う心、辛い気持ちを推し量ってあげる心が大切なのでは。痛みを伝えることは難しいです。痛みを分かってあげることも難しいです。でも心も身体も痛いと言う方には遠くからでもいい、温かく見守ってあげてください。優しくして上げて下さい。    合掌

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