住職の徒然記

昨日は一日中雪が舞っておりました。今年の寒さはいつも以上に身体に応えます。今朝、暖房を点けない本堂のなかでローソクと線香に火の気を感じお経を唱えておりました。お客様が居られる時は小さいながらも暖房を点けるのですが、普段の朝勤行に自分の為にと暖房を使うことはございません。決してケチってる訳ではないのですが、昔からそうでございました。自らを戒める修行と思えば中々乙なものです。ところが今朝のお勤めはいつもと違いまして・・・。多分初めてのことだと思うのですが、不覚ながらもお勤めの最中に両足の指が霜焼けになってしまいました。この何とも言えない痛痒さ。指指は赤紫に変色し終わるころにはプックリ腫れ上がってしまいました。この12月半ばにここまで冷えるなんて。恐るべき平成29年度冬というところでしょうか。でもお勤め後に飲んだコーヒーは格別です。自分で薄く作ったインスタントコーヒーですが、何故か懐かしく心も体も温めてくれました。ありがたや(^-^)

話が変わりますが、日曜日ふと思い立って未知の領域である市内キリスト教会の日曜礼拝というものに行ってまいりました。もちろんプライベートです。公的な訪問や結婚式等関係者の儀式において行くのであれば、お坊さんでも他宗教施設に足を踏み入れることもあるでしょうが、私的に行事に飛び込み参加となれば、珍しいかもしれませんね。ちゃんと、いち参列者として皆様とともに復唱もすれば讃美歌も歌ってまいりましたし、神様のいいお話も聞いて来ました。

人の口に戸は立てられぬと言います。こんな話をすると冷やかしを入れる方も居られれば、固定観念の世の中ですから賛否両論色々な憶測が飛び交うかもしれません。例えば、人生に疲れたのかとか、或いは誰かに勧誘されたのか等々。口の悪い方は異教に魂売ったとか改宗するのかとか言うかもしれません。魂を売ってもなければ改宗もしません。この頃疲れはありますが人生に疲れは付き物です。それに誰かに言われて行くほど性格が単純ではございません。奇天烈な行動故に、それじゃおかしくなったのかとか、魂胆があるのではと勘ぐる方もおられるでしょうが、別におかしくもなっていませんし、勘ぐる人の勘ぐり方に問題があると思います。自分の罪を清める為でもなければ、神様に罪一等を減じて頂こうとしてる訳でもございません。懺悔するのであれば、別に神様じゃなくて仏様で十分ですし禊の為ではありません。ましてや目立ちたいからでもなければネタ作りでもございません。変わり者のレッテルを張られるのであれば、それも更にまた乙なものだなと思います。分かる方には分かって貰えるでしょうし、分かって頂けない方には多分一生ご理解して頂けないかもしれません。ただ純粋に何にも囚われることもなく垣根を越えるということを。もし坊さんがと偏見視される方がいれば、表面上の私をご覧いただくのではなく、その奥にあるもっと私らしい私も是非見て頂きたいです。私自身も先入観を捨てれば、未完で未熟で非力な自分が見えてくるからこそ、皆様に真実の為人をお見せすることができるでしょうから。こんなこと言うと偽善者が善良ぶって神様にでもなったつもりかと怒られるかもしれませんね。ごめんなさい。密教には法身の説法という言葉がございます。今回の礼拝参加の経緯全てが仏様の言葉であり導きだと思えるのもまた有難いことです。神と仏に垣根なんて存在しないのかも。

今回は非常に有意義な時間を頂戴し、自分を客観的に見つめ直し更に仏様の温かさにに触れることが出来ました。要らぬプライドは持ち込まず、揺るぎない信念はみんなの役にたつことが出来るかもと思えました。キリスト教会に行って仏様の温かさに触れるとは矛盾してるようでございますが、そこに何か大切なものが隠されている気がします。待ちます。信じるのではなく信じさせて頂けることに感謝し。大切なものがあるからこそ、古くからの全ての宗教は長い歴史を刻んで来れたんですね。色々な違いがあれども信じる心は純粋でみんな一緒です。信頼こそ信仰です。こんなに頑で遠慮と忖度の毎日、揺るぎない真実を持って全ての垣根を越え、みんなで少し肩の力が抜けたらいいですね。自らの心にある大切な想いと共に。偉そうなこと言ってにすみません。(^-^)教会の皆様ありがとうございました。機会があればまた参加させて頂きたく思います。今度は私人としてではなくお坊さんとして。       合掌

※法身の説法・・・・全て理は根源の仏である大日如来(法身)の言葉であり法身自身であるということ。

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