住職の徒然記

思い出 »

どんな別れも切なく寂しいものです。寂しさを癒すのは楽しかった思い出だけかもしれません。思い出は力になります。例え投げやりになっても、優しく心をいたわってくれます。良き思い出は永遠です。

人間、苦労は付きもの。人生の殆んどが苦労ですから。自分の苦労は分かってもらえず、身を持って人の苦労を分かってあげれず。難しいですよね人生って。苦労は自分との闘い。だからこそ自分の過去と向き合ってみましょう。思い出が苦労すら楽しい語らいへと導いてくれるはずです。

ちっぽけな世の中で人の目なんて気にしない。気にするる時間があれば、楽しかった時間を思い出してみては。    合掌

旅立ち »

継続は時にマンネリ化を生んでまいります、こうして更新していますと、同じ言葉を使ったり並べたりすることも多くなってきました。でも同じような表現が出てきたときには、そこを強調したいんだと優しいお気持ちでご覧頂ければ幸いです。

さて3月もあと数日、来週からはいよいよ新年度が始まります。今週は進学・就職・転勤・転職等の新生活の為、新居を移す方も多いでしょうから、引っ越しもピークになるのでは。つかの間の別れ、永遠の別れと大切な人に対し、様々な想いが交差してることと思います。いずれにしろ、家族、隣人、携わる諸々の皆さんと別れるのは寂しいものです。以前私の叔父が『これからは大切な人を心配するんじゃ無く、大切な人に心配掛けない毎日にする。』と言っているのを耳にしました。大切な人と別れるとついつい心配に捉われてしまいます。でも相手に心配掛けないことがもっとも相手と思いやることに繋がるという、まさに今の時期にぴったりな格言ですよね。

私も三十数年前進学と修行の為、地元を旅立ちました。その際、たくさんの方から色々なお言葉を頂いたことが昨日のように思い出されます。

1、夢や希望・理想は思い通りにならないけど、自分の未来を支えてくれる。2、傲りと焦りは禁物、謙虚に毎日過ごせば周りから変わってくる。3、プライドと意地を捨てれば大切なものが見えてくる、常に頭と心を柔軟に見る目を養う。4、頑張ると努力を履き違えない、努力は常に自分の為にある。5、苦しい時の神頼み、普段無い信仰でも神様は分かってくれるからすればいい。6、自分以外は良く見えるもの、でもひがんでも嫉んでも何も生まれない、それは自分の方が実は恵まれているから。7、親切や気遣う心を大切に、お節介や自己満足と言われても人として大切な意味を有する。8、自分を振り返ると必ず同じ失敗や過ちを何度も繰り返している、それに気付き思いやりを持って連鎖を断ち切ることが成長すること。9、見返りを求めない、それ以上に大切なものを得ているから。10、争いたくなければ同じ土俵に上がらなければいい、同じ土俵に上げれば互いに傷つけ合ってしまう、例え逃げたと言われても卑怯と言われても同じ土俵に上がらなければ傷つけ合うこともないから。等々

もっと紹介したいのですが、この辺にしておきます。一つ一つの言葉にたくさんの思い出がございます。未だに実行しきれてない言葉もございます。これらの言葉に救われたこともあれば、自分を戒めたこともございました。今の私の原点であり支えです。

こんなブログを目にする人は少ないでしょうが、私も支えとさせて頂いた言葉がこれから旅立つ誰かの目に留まり、少しでも何かのお役に立てればと思います。              合掌

流 »

感動のパラリンピックも幕を閉じ、係わるたくさんの人間模様に多くの勇気を頂きました。オリンピックと同様、いやそれ以上に感動を与えてくれた全選手、関係者に心から拍手を送りたいです。みんな国民栄誉賞ものですよね。

暑さ寒さも彼岸まで。青森もこの一週間程で雪解けが急激に進みました。ただ今日は関東でも雪が降っているようですし、明日は青森も雪らしいです。これだけ三寒四温が激しいと体調も崩しやすく心身も悲鳴をあげそうです。そんな中でも自然は刻一刻と時間を刻んでいます。

ところで皆さんは、桜と言う言葉に出会いと別れどちらを連想しますか。地域格差があるようですが、私は青森が4月後半に桜が開花するものですから、新年度ということで出会いを連想してました。しかし、3月に開花する地域では、年度末の旅立ちや桜吹雪に寂しさを感じる風景を想像し、別れをを連想する人が圧倒的に多いようです。色々な受け取り方がありますね。何にしても桜は、この時期一番時流を感じさせてくれる花です。

3月も後半を迎え、人生もまた新たな時間を刻もうとしています。人生には良い時間もあれば悪い時間もある。上りもすれば下がりもする。誰のせいでもなく事の成り行きは自業自得、それが人生です。時に人生は、意志や行動に反して思い通りにならないことを生じさせます。人生、山あり谷あり。全て自らの人生ですから、逃げることも誰かと取り変えることもできません。そこで自分に迷うことなく全てを受け入ってみては如何でしょうか。寛容なる心は、時に諦る判断を尊重し、時に継続する心を大切にする。時の流れに心を委ね人生を歩んで行くことで自分らしい自分を悟ることが出来るかも。やっぱり人生って深いものですから。

人生は不思議です。自らの性格がもたらしたのか、進むも引くも出来ず30年間ずっと胸につかえていた事がありました。さすがにどうにもならないと諦めていましたが、つい最近になって解決へと導かれた時、改めて世の無常と人生の深さを目の当たりにしました。ちっぽけな自分、そんな自分の人生もまた捨てたもんじゃないなって気付かされました。過去を変えることは出来ません。過去に後戻りすることも出来ません。それが人生です。例えバラ色の人生じゃなくても、せめて悔無い人生でありたいものです。   合掌

どんなに報われない人生であっても、見捨てずに一緒に歩んでくれる時間の神様に感謝、感謝。

痛み »

新聞に昨日の公立高校入試問題が載っていましたので挑戦してみましたら、思った以上に理解出来ました。昔必死で解いていたことが懐かしいです 

入試において心配する親御さん達の心情、お察し申し上げます。しかし幾ら心配してもその想いを本人に届けることは難しいですよね。確かに想いは届けるものでないのでしょうが、届いて欲しいと思ってしまいます。でも想いを言葉や行動で表現しようとしても相手がどのように思うかですし、どんなに強く案じても相手がその想いを受け入れなければ、その想いは空回りです。想いは結果や何かを求めるものではありません。互いに見返りを求めず、どんな時でもただ信じる事と捉えれば、想う心が目に見えない強い絆を結んでくれるのはずです。

想いを伝えるのも大変ですが、それ以上に伝えることが難解なのが心身の痛みではないでしょうか。痛みを分かち合うことは出来ません。痛みは厄介です。ときに痛みは記憶にさえ刻まれます。また自分でその痛みを知らなければ、相手の痛みなど到底理解などできません。痛みには個人差があります。例え同じ病気であっても痛みは人それぞれです。我慢できる人もいれば表現出来ないほど苦しむ人もいます。チクチクする、ズキズキする、ガンガンする。誰かに自らの痛みを伝えようとすると、自分の痛みですのでつい身勝手な自己表現になってしまいます。相手も言葉や行動からでしか推測できず、そこに互いの距離が生まれます。自分の真の苦しみを理解してもらうことなど困難なのかも。

痛みは多種多彩にございます。私は無気力さえも心の痛みと思っています。全てにやる気が出ない。周りの人は怠けてると思うでしょう。でも不思議と身体が動かないことだってあります。だからやる気が出ないということは、心の奥底の見えない痛みであると考えればいいのです。そして気力が上げるまで自分に優しくなってください。無理は禁物。心が痛むから心も病んでしまうんです。痛むも病むも全て自分の中からうごめき表れるものです。どんな痛みも難儀なものですね。

心身の痛みを正確に伝えることが出来れば、分かって貰えれば、理解してくれれば、どんなに幸せなことか。

以前、頭に激痛が走りクモ膜下出血を疑って病院に行ったことがあります。お医者さんに「こんな激痛初めてですからくも膜下出血の疑いがありませんか」と尋ねましたら、「くも膜下出血であれば、頭をバットで殴られたような痛みがあります」と言われました。でも実際バットで殴られた事がないものですから、どんな痛みかを推し量ることが出来ませんでした。私達は経験のない痛み、知らない痛みもたくさんあります。痛みが不安を生じるのであれば、痛みなど不要、無痛であればいいのにと思います。でも痛みは不調の信号です。そう考えると痛みもまた必要なものであると考えねば。痛みとも仲良く付き合っていきたいものです。

自分が痛みの中に入れば、心配かけまいと痛むことを隠します。苦痛の中に居られる方を見ると、何もしてあげられないことに心苦しく思います。しかし過度な心配は相手の不愉快を生むこともあります。人の心は難しいですね。でも何かをしてあげることが大切なのではなく、してあげたいと思う心、辛い気持ちを推し量ってあげる心が大切なのでは。痛みを伝えることは難しいです。痛みを分かってあげることも難しいです。でも心も身体も痛いと言う方には遠くからでもいい、温かく見守ってあげてください。優しくして上げて下さい。    合掌

ひとり言 »

冬季スポーツがまだまだシーズン中ということもあり、オリンピックの感動と興奮が覚めやらぬ中、十分な休養も取らずにアスリートの皆さんは次なる闘いの地へと赴かれているようでございます。どのスポーツもそうでしょうが、試合の為に、年間多大な時間を費やしてトレーニングに勤しんでおられます。その目に見えぬ努力が最高のパフォーマンスとなって私達に感動を与えてくれます。私達は表の華やかさしか知りません。でも見えない努力を決して疎かにしてはいけません。そこにも温かい気持ちで応援出来る素晴らしい感動がある訳ですから。

スポーツは才能だという人がおられます。でも才能があるといわれる人ほど努力し忍耐強くストイックに練習に励んでおられます。才能では一流になれません。努力が結果をもたらし一流と言われるようになるわけです。一流のアスリートは負けた時、才能や何かのせいにすることはないそうです。努力不足を常に痛感し更なる自分磨きを致します。コンプレックスがあれば努力で克服してしまいます。正しくスポーツマンです。こんな努力を凡人の私達も人生に生かせたらって思ってしまいます。

『隣の芝生は青く見える』という諺があります。とかく凡人の私達は努力や忍耐より楽を優先し他を妬むことがございます。そこには他と比べる自分がいます。でも何も他と比べる必要はないんですよね。自分自身がどうなのか、どうあるべきか、ということが大切なんですから。スポーツは他の努力より自分の努力です。長い人生にも共通する必要な考え方では。そんなことをオリンピックを見て改めて自分に言い聞かせていました。スポーツを見る度に、たくさんの事を教えられているような気がしてなりません。

いま、女子レスリング界のスキャンダルが報道され始めました。監督のパワハラと報じられていましたが、よく聞いてみますと方向性や考え方の違いにも今回の問題の一端があったのでは。年齢も違えば性別も違う。監督と選手の間であっても考え方の不一致が生じることもあるでしょう。誰しもが一方的な観点から物事を見ようとしますし、誰しもが自分の正義を貫こうとします。真実は分かりませんが監督からすれば弟子に対する思いやりがあってのこと、選手にすれば更なる飛躍を願っての行動だったはずです。小さなひずみも時間の流れで大きなズレになることもあります。そのズレが誤解を生じ互いを遠ざけることも。そこに感情が入れば『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』なんて部分も出てくるはず。思いやりの行動もすべてが裏目に出てしまうでしょう。そうなれば、監督として指導がしずらくなるでしょうし、選手からしたら監督を信頼できなくなることでしょう。互いに言えぬことも出来るでしょうし、人を介しての伝達の不備が大きな誤解を生じさせることもあったのでは。一つの言葉にはたくさんの意味があります。それぞれの捉え方が誠意にも悪意にもなります。互いが互いの真意を推し量ることが出来なくなっては、全てが悪意に感じたのでは。

でも皆が熱き想いを持つスポーツ界だからこそ、当事者以外の周辺の環境に左右されたり、煽られて引っ込みがつかなくなることがないよう互いが誠実に対処して頂きたいものです。感動をよんだ冬季オリンピックが閉会しパラリンピックがこれから開催されるという時にこんなスポーツ界でのスキャンダルは悲しいです。冷静なる中でいち早く真実を求め互いを理解し穏便に解決して、一生懸命頑張っているパラリンピックの選手を応援していきたいものです。  合掌

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